2021年3月17日水曜日

『貨幣の購買力』第三章 第1節


 何年か前に所属する学会で、環境問題に向き合って活動している若者を呼んで話を聞いてみようという企画が実施された。そのときの発表の中でも東京の某大学の男子学生の発表が忘れられない。

彼は、いかにして人的ネットワークを構築するか、つまりインターネットを駆使することを切々と語り、最後に、「温暖化防止」のようなことが書かれたプラカードを持って街を練り歩いた様子がTBSだかのニュースに紹介された映像を流して発表を締めたのだった。言うまでもなく、温暖化ガスの削減になることは一切やっていない。むしろ温暖化に加担するようなことばかりに励んでいたわけだが、声を上げてメディアに取り上げられたから自分たちの活動は社会的に評価されたのだ、と得意になっていただけなのだ。一瞬、この子はバカなのか、と思ったのだが、深く物事を考える大人との交流のないまま育ったであろう若者を哀れに思わずにいられなくなった。そのことはまた深く考える大人の希少性を物語っていたのだ。

現代社会が抱える問題は遡って考えた方がいいと思う。昨日記したように、ゲーテは18世期末には人類の行く末を見抜いていたのだろう。そして、マックス・ヴェーバーは「精神のない専門人、心情のない享楽人。この無のものは、人間性のかつて達したことのない段階にまですでに登りつめた、と自惚れるだろう」(『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』)という未来を予想し、シュペングラーは彼が「貨幣の独裁」(『西洋の没落』)と呼ぶ末路を予見した。

「財をもってする思考に代わって貨幣をもってする思考が現れる。・・・経済像は財の本質的特徴をなす質とは関係なく、もっぱら量に帰せられる。」(『西洋の没落』第二巻 p.395)

「複式簿記がルカ・パチョーリ(1494年)によって発明されたことは決定的なものとなった。」(『西洋の没落』第二巻 p.402

「帳簿価値の抽象的体系は複式簿記によって人格から遊離し、そうして自身の内的動力学によって活動し続けている。」(『西洋の没落』第二巻 p.405)

原子力エネルギーの大きさに人類で最初に気づいたノーベル賞科学者フレデリック・ソディは、「複式簿記」まで遡って、貨幣論を展開した。科学者であるフレデリック・ソディは「財」をエネルギーの化身と考え、熱力学の原理に則して、貨幣を考察したのだ。だから、ソディの貨幣論は、主流派の経済学者には無視され続けたが、エコロジー経済学の世界では大きく取り上げられている。ソディの貨幣論抜きで環境・エネルギー問題を論じることがいかに間抜けかと思えるくらいのものなのである。(なお、ソディの貨幣論については、新潟大学の藤堂史明氏が訳を手掛けているので、ググられたい)

ソディが貨幣について思索するにあたって参照した経済書は、アーヴィング・フィッシャーの『貨幣の購買力』である。これは戦前には邦訳が出版されていたが(古書はとても高額)、戦後どういうわけだか邦訳が姿を消した経済書である。

アーヴィング・フィッシャーの没年が1947年ということで、著作権が切れたので、自由に翻訳・伝授できる時代になっている。そこで、とりあえず、『貨幣の購買力』第三章第1節を訳してみた。この内容は、最近、イングランド銀行の紀要で説明されたものと同じ内容であることを確認できるだろう。エネルギー供給量などお構いなしに、マネーはいとも簡単に創られるのだ。そして、フィッシャーもイングランド銀行も実は金利が(債務者当人にではなく)社会にどういうことをもたらすかという根本問題に触れていない。これこそソディが現代文明の崩壊を予見した理由である。

ゲーテの先見の明や「国民所得倍増計画」の下村治の経済理論や「ブルシット・ジョブ」で知られるようになったデイビッド・グレーバーの『負債論』を理解する上で、また、環境・エネルギー問題に向き合う上で間抜けと思われないためにも、「複式簿記」に関する書物としてフィッシャーのこの箇所は必読であるように思う。さらに言えば、『地域衰退』の大元はこの辺りの見識と展望を田舎者が欠いていることにあると思う。





The Purchasing Power of Money, its Determination and Relation to Credit, Interest and Crises, by Irving Fisher, assisted by Harry G. Brown (New York: Macmillan, 1922). New and Revised Edition.

第三章 交換方程式および購買力への派生預金の影響

§1
 われわれは今や派生預金あるいは流動性預金の性質について説明する準備が出来ている。信用とは、一般に、貸し手が借り手から返してもらえることで成り立つ。銀行預金を現金化することは預金者が銀行に対して支払い請求することであり、そうすることで預金者は、必要に応じて、ある金額のお金を銀行から引き出している。銀行預金についてはそれ以上のことを考えないので、われわれはたいてい「現金化できる信用」を単に「銀行預金」と呼んでいる。それらはまた「流動性預金」とも呼ばれる。このように、預金通帳は単にお金を引き出す、つまり銀行預金を移動するための保証書なのだ。預金通帳自体は通貨ではないが、通帳が示す銀行預金は通貨である。
 銀行預金の移動に伴って、「回り出す信用」という「銀行業務のミステリー」が起こる。エコノミストも含めて多くの人々が思っていることは、信用は銀行によって根も葉もなく創りだされた富の特別な様式だということだ。他の者たちは、もしも合法的な存在でないとしたならば、預金は現実の富における基盤を持たないばかりか、心許なく非現実で膨らんだ泡のようなものだとの立場を取る。実際には、銀行預金は銀行券と同じくらい容易に理解できるもので、銀行預金に関するこの章で述べられることは、実質的には銀行券においてもあてはまると考えて良い。主な違いは形式的なことで、預金通貨が「勘定」という特別なやり方で循環する一方で、銀行券が手渡しされる、ということだ。
 銀行預金の真の性質を理解するために、仮想上の金融機関を想像してみよう。それは、預金業務と現金の安全な保持のために存在する原始的な銀行だ。アムステルダムのもともとの銀行というのが、今想像しているような銀行だった。そこに、多くの人々が金(ゴールド)で$100,000預けて、各々が預金口座に領収書を受け取っている。この銀行が「勘定書」を発行するならば、金庫の中にある$100,000と預金者に支払い義務のある$100,000を表わすことになるだろう。

 資産 負債
金$100,000預金者に支払われるべき$100,000

 勘定書の右辺は、もちろん、個々の預金者に支払い義務のある金額の和である。Aさんに$10,000、Bさんに$10,000、他の人々に$80,000支払い義務があるとすれば、勘定書は次のように書かれる。

 資産 負債
金$100,000預金者Aに支払われるべき$10,000
預金者Bに支払われるべき$10,000
   他の預金者に支払われるべき$80,000
合計100,000  100,000 

 今、AさんがBさんに$1,000払いたいとしよう。AさんはBさんと共に銀行に行き、通帳を出して$1,000の金を受け取って、それをBさんに渡す。Bさんは再び$1,000の金を同じ銀行に預けるとする。単に窓口を通して受け取った$1,000の金を預け、Bさん名義の通帳に記入してもらうことになる。けれども、AさんとBさんの共に銀行を訪ねてお金を扱う代わりに、Aさんが単にBさんに$1,000の小切手を与えてもいい。いずれにしても、お金は移動して、銀行にあったAさんの持分$10,000は$9,000に減り、Bさんの預金は$10,000から$11,000に増えたことになる。そして、勘定書は、こうなる。

 資産 負債
金$100,000預金者Aに支払われるべき$9,000
預金者Bに支払われるべき$11,000
   他の預金者に支払われるべき$80,000
合計$100,000 100,000 

 このようにして、預かり証ないし勘定書が銀行内の様々な預金者の間を現金に代わって動き回るだろう。そのときに本当に所有関係を変えているもの、あるいは動いているものは、お金を引き出す権利なのだ。勘定書は単にこの権利の証拠であり、ある人から別の人へとこの権利が移動した証拠となるものなのだ。
 こういう考えの下では、銀行はただただ途方にくれながら経営されることになる。銀行には何ら見返りもないまま、預金者の便宜のために事務的な時間と労働を捧げるだけになってしまうだろう。だが、そんな仮想的銀行も、アムステルダムの銀行がそうしたように、すぐに預蹴られた金のいくらかを金利を取って貸し出すことでお金を創ることができると気づくだろう。そうしたところで預金者に迷惑をかけることもないのだ。というのは、預けられている金が一斉に引き出されることはまずないからだ。預金者の望みは必要なときには預けただけの金を引き出せればいいということだ。そこで、銀行の手筈はすべてではなく一定量の支払いに応じることになって、しばしば、金庫に遊んでいる金の一部を自由に貸し出せることに気づいたというわけだ。使われもしない金を保持することは機会損失というものだ。
そこで、銀行が現金の半分を貸し出すことを決定したとしよう。このことは通常、借用証書との交換によってなされる。まさに貸し出しとは、お金と借用証書との交換なのであり、貸し手である銀行は金を渡して借用証書を受け取る。そのとき、借り手は実際に$50,000を金で引き出している。銀行は、これによって、金と約束を交換したことになり、帳簿は次のようになる。

 資産 負債
金$50,000預金者Aに支払われるべき$9,000
借用証書$50,000預金者Bに支払われるべき$11,000
   他の預金者に支払われるべき$80,000
合計$100,000 100,000 

 今や銀行にある金は$50,000分だけになり、一方、預金の全額は$100,000のままである。言い換えれば、預金者は、銀行が金庫に保有している金よりも多くのお金を預金として持っていることになるのだ!しかし、こういう言い方は、「お金」という言葉の中にありがちな間違いを含んでいる。何かよいことがあるとしたら、それは貸し出しという裏付けがあるのであり、必ずしもお金の裏づけである必要はないのだ。
 次に、この借り手が、現金で$50,000を再び預金することことで預金者になることを考えてみよう。つまり、要求次第で同じ額を引き出せる権利を借りたことになる。別の言い方をするならば、銀行から金$50,000を借りた後で、借り手が銀行にそれを貸し出す場合を考えるのだ。銀行の資産は金$50,000だけ拡大し、債務(預金量の伸び)もまた等しく拡大するだろう。そして、バランスシートはこうなる。

 資産 負債
金$100,000預金者Aに支払われるべき$9,000
借用証書$50,000預金者Bに支払われるべき$11,000
他の預金者に支払われるべき$80,000
   新規の預金者(借り手)に支払われるべき$50,000
合計150,000 150,000 

 この場合に起こることは次の通りだ。金が借用証書との交換によって借り入れられて、次いで引き出す権利との交換によって銀行に戻されたということだ。かくして、金は現実には動かなかったことになる。だが、銀行は借用証書を手に入れ、預金者はお金を引き出す権利を手に入れたことになる。したがって、明らかなことだが、借り手が借用証書を渡して、その代わりに、お金を引き出す権利を受け取ったとしても、同じことになるだろう。この取り扱いは銀行業務のことを学ぶ際に初学者を最もしばしば悩ますことなので、わたしたちはこういう「貸し出し」つまり借用証書とお金を引き出す権利との交換の前と後での状態を示す貸借対照表を復習しておきましょう。すなわち、

貸出前
 資産 負債
金$100,000預金者に支払われるべき$100,000
貸出後
 資産 負債
金$100,000預金者に支払われるべき$150,000
借用証書$50,000

 明らかに、この場合のお金の媒介は不必要に複雑に思えるかもしれないが、債権と債務の結果的な動きについての理論的な理解を助けるだろう。ともあれ、このように、銀行は金あるいは約束を預かっている。約束の交換において、銀行は、お金を引き出す権利にせよ金にせよ、渡すか貸すかしているのだが、その金は別の顧客が預けたものなのだ。借り手が単に約束したときでさえ、フィクションによって彼はお金をすでに預けていることになり、本来の預金者と同じように小切手を切る権利を与えられる。お金を引き出す権利を行使できる全額は、どのように生じたものであれ、「預金」と呼ばれる。銀行はしばしば現実のお金よりもお金を引き出す権利すなわち預金を貸す。というのは、借り手にとっても都合がよいし、予期せぬ大きな需要に備えて銀行は現金をたくさん保有していたいからである。銀行がお金を貸すとき、貸し出されたお金の多くは借り手がそれをビジネスで支払った人々によって再び預金されていることも事実だ。だが、そのお金が必ずしも同じ銀行に預金されるとは限らない。それゆえに、並の銀行家は借り手が現金を引き出さないことを好む。
 預金を貸し出すことに加えて、銀行は「銀行券」と呼ばれる自前の証書を貸し出してもいい。そして、銀行券を管理する原理は預金の権利を管理するのと同じことである。銀行券の持ち主は、銀行口座の代わりに、たくさんの銀行券を持つことになるだけのことだ。いずれにせよ、銀行はいつでも、預金者に対して支払い要求に応じるのと同様に、銀行券の持ち主には「買い戻して」支払う準備をしなければならならず、いずれにせよ、銀行は約束と約束を交換するわけだ。銀行券の場合には、銀行は銀行券を顧客の借用証書と交換する。銀行券は利子を生まないが、必要なときに支払いに使える。顧客の覚書は利子を生むが、指定された期日にだけ支払われる。
 さて、銀行が$50,000の銀行券を発行したなら、バランスシートは次のようになる。

 資産 負債
金$100,000預金者に支払われるべき$150,000
 借用証書$100,000 銀行券の保有者$50,000
合計200,000 200,000 
 
 再び、信用ゆえに貸方にある銀行の預金(および銀行券)は現金を超えている。もしも人々がお金の管理として銀行業務について考えないように仕向けられるなければ、不思議に思うこともなく、この事実に関して不明のままで、ましてや預金一般についても知らないままだろう。それで、これらのことを表にすることは隠喩的で誤解を招く。銀行業務は、現物資産の取引でないのと同様に、それはお金の管理でもないからだ。銀行の預金者Aは普段「預けられたお金」を持ってない。そして、彼が持っているかどうかにかかわらず、彼は「銀行に金がある」とも適切に言うことはできない。彼が持っている当のものは。あくまでも要求次第でお金を支払うという銀行の約束なのだ。銀行は彼にお金を支払う義務を負う。ある私人がお金を借りているときに、債権者が債務者のポケットの中にある預金に自分の金を持っていると言うことは決して想定されないのだ。



2021年3月16日火曜日

『解放された世界』

 フーゴ・バルが社会経済の行き詰まりに悶悶としていた1913年、「SFの父」とも称されるH.G.ウェルズは『解放された世界』と題する未来小説を書いていた。

 この小説は、原子力エネルギーの可能性を明らかにしたノーベル賞科学者フレデリック・ソディの研究にヒントを得たもので、「フレデリック・ソディの『ラジウムの解釈』に、この物語を献呈して感謝のしるしとする」との献詞が添えられている。この未来小説の中でウェルズは、原子爆弾を予言し、科学の進歩を讃えつつも未来社会を憂慮し、後先考えずに発展し続ける科学が顧みようとしない興味深い問題を指摘していた。

「豊かさの到来とともに、測りしれない豊かさが満ち溢れた状況において、そして人間の必要を満たすのに欠かすことのできないすべてのものと、また人間の心の中にあった意志と目的を実現するのに必要なすべてがすでに手中にあったとき、人はなお苦難、飢餓、激怒、混乱、衝突、そしてわけの分からない苦しみについて語らなければならなかったのである。この莫大な新しい富(補注:原子力エネルギーの恩恵)-----それはついに人間の手の届くところまでやって来たのであるが-----それを分配するいかなる計画もなかった。このような分配が可能だというはっきりした構想は何もなかった。」(『解放された世界』p.82) 

 ウェルズは、『解放された世界』の中に「フレデリック・バーネットの『放浪時代』」という小説を登場させて、未来に起こり得ることを予想した。小説の中に小説を登場させるにあたり、「それは確かに人びとに一世紀半ほど昔のゲーテの『ウィルヘルム・マイスター』をそれとなく思い出させるタイトルである」(p.90)と一文書き添えている。

 ゲーテの『ウィルヘルム・マイスター』には、「修行時代」と続編の「遍歴時代」があるが、マックス・ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』に登場するのは後者である。

「専門の仕事への専念と、それに伴うファウスト的な人間の全面性からの断念は、現今の世界ではすべて価値ある行為の前提でもあって、したがって「業績」と「断念」は今日ではどうしても切り離しえないものとなっている。・・・(中略)・・・こうした禁欲的基調を、ゲーテもまたその人生知の高みから『ウィルヘルム・マイスターの遍歴時代』と、ファウストの生涯の終幕によって、われわれに教えようとしたのだ。彼にとって、この認識は、ゆたかで美しい人間性の時代からの断念を伴う、そうした袂別を意味した。」(『プロ倫』p.364)

 マックス・ウェーバーは、資本主義が席巻するようになって、「百姓」としては食えなくなり、分業化された社会の中で細分化された職務・業務に従事して生きることを余儀なくされる時代の到来をゲーテが看取していたことを言いたかったわけだ。

 ウェルズが触れた『ウィルヘルム・マイスター』は、『ウィルヘルム・マイスターの修行時代』を指していると思われる。『ウィルヘルム・マイスターの修行時代』にも、原子力エネルギーに比肩するような人類の歩みを一変させた発明が記されているからだ。 

 それは、ゲーテ『ウィルヘルム・マイスターの修行時代』第一巻第十章の記述、主人公ウィルヘルムと友人で金儲けに長けたウェルナーの会話だ。(訳は岩波文庫版ではなく新潮世界文学版)

ウェルナー「ぼくは、ほかの人が馬鹿なのにつけこんでうまくやるくらいあたりまえのことはないと思うんだがね。」

ウィルヘルム「馬鹿な人間がいたら、その馬鹿を癒してやるほうが、趣味としては高尚じゃないのかい」

ウェルナー「ぼくがいろんな人間とつきあってきた経験では、そんなことはどうやらむだ骨折りらしいね。たった一人の人間が利口になり金持になるのだって、なかなか容易なことじゃない。しかも、それもたいていの場合、ほかの人たちを犠牲にしてのことなんだ。」

 この会話に続いて、現代人の歩みにとって決定的となったことをゲーテは指摘していた、なんと1796年の著作で。

ウェルナー「複式簿記ひとつ取ってみても、商人はそれでどれほど利益を受けているかわかりゃしない。こいつは人間精神が考えだしたもののなかで、いちばんすばらしいものの一つだ。ぼくにいわせれば、うまく切り盛りして行こうというのなら、誰でも、こいつを自分のところでも使う必要があるんだ。」

 この「(複式簿記が)人間精神が考えだしたもののなかで、いちばんすばらしいものの一つだ」という箇所は、シュペングラー『西洋の没落』でも注目されている。

「複式簿記がルカ・パチョーリ(1494年)によって発明されたことは決定的なものとなった。」(『西洋の没落』第二巻 p.402

 シュペングラーは、数奇なものだが、実在したウェルナーの複式簿記についての見解、すなわち「複式簿記は、ガリレオとニュートンとの体系と同じ精神から生まれた・・・(中略)・・・複式簿記はあらゆる現象をただ量としてのみ理解するという、論理的におこなわれた根本思想にもとづいている」(ibid.)という見立てを紹介している。(その箇所を含むゾンバルトの考えの英訳

 そして、数学教師でもあったシュペングラーは、数理として貨幣が席巻する文明の終末「貨幣の独裁」を予見した。

「銀行としたがって取引所とは1789年以来、尨大に成長していく産業の信用需要において、自己自身の権力にまで発展した。そうしてあらゆる文明における貨幣のように、唯一の権力たろうと欲する。生産戦争と略奪戦争との間の古くさい論争は、知能の沈黙している巨大戦争に高まっていく。」(『西洋の没落』第二巻 p.412)


 さて、ウェルズはと言えば、上述したように豊かさの分配上の問題を記していたが、原子力エネルギーが用いられる未来には、資本主義体制が粉砕され(p.276)、貴金属本位の貨幣制度は維持できなくなってエネルギー本位の貨幣制度になると考えていた(p.282)。

 フレデリック・ソディがヒントを与えた未来小説は、ソディに富の分配つまりは経済に関して科学者がいかに無思慮かを気づかせた。やがてソディは自ら金融のしくみについて思索し、貨幣論を提示し、文明の未来を憂慮した。それは、エネルギーがどんなに潤沢であったとしても、複式簿記にもとづく金融のしくみを放置しておけば、現代文明は崩壊する、というものだ。

 



2021年3月13日土曜日

『時代からの逃走』

 地方の美術大学のパンキョーの教員(註:一般教養担当教員)として勤続24年になる。四半世紀ほどで卒業制作が様変わりしていることを実感している。絵画専攻卒業だけど「絵画」に属するとは思えないものや彫刻専攻卒業なのに「彫刻」とは思えないものの提出が混じるようになってきたのだ。作品の良し悪しはさておき、枠に収まっているのが嫌だということはよく伝わってくる。

 このような変化は、『地域衰退』の実感の深化と同期している。歴史家のアーノルド・トインビーは、過去に起こった文明の比較研究を行い、「伝統的な芸術様式の放棄は、その様式と結びついている文明が、ずっと以前から衰退し、いまや解体の途上にあることを示す証拠である」(アーノルド・トインビー 『歴史の研究』p.□□)と指摘している。

 シュペングラーが『西洋の没落』を著述していた頃には、ダダイズムと呼ばれる芸術運動が起こった。ダダイストたちは「旧来のあらゆる社会秩序とブルジョワ的価値観を転覆させ、これに決定的な批判を加えることを提唱した。また、社会的・政治的価値から芸術的価値に至るまでの一切の価値観を信用せず、芸術の完全な非合理性を主張した。」(相賀徹夫『世界美術大事典3ダダイズムの例としては、マルセル・デュシャンの「泉」(1917)がよく挙げられ、印象派の絵のような芸術作品でないことはすぐにわかるだろう。

Marcel Duchamp, 1917, Fountain, photograph by Alfred Stieglitz
Marcel Duchamp, Public domain, via Wikimedia Commons

 そのダダイズムの中心人物フーゴ・バルの手記をまとめた『時代からの逃走 ダダ創立者の日記』には、当時の行き詰まりが次のように記されている。

「生活はすっかりあみの目に巻き込まれ、身動きできなくなっている。1913年〔第一次大戦の前の年〕の世界と社会はそんなふうに見えた。一種の経済的宿命論が支配していて、それが各個人に、抵抗しようがしまいが、一定の機能をおしつけ、ひいては個人の利害関係とその性格をも左右している。教会はとるに足りない「救済事業」、文学は安全弁としてしか通用しない。どのようにしてこんな状態になったにせよ、この状態が現にあり、誰もそれから逃れることができない。・・・(中略)・・・しかし明けても暮れてもいちばん気がかりな問題は、こうだ。この状態を止揚できるほどの、強力で、とりわけ生きた勢力が、どこかにあるだろうか。もしないとすれば、どのようにしてこの状態から抜け出せるのか。・・・(中略)・・・必要なのは、このメカニズムから脱け出そうとする人びとすべての連合であり、〝お役に立つこと″に抵抗する生き方であり、使われたり、利用されたりするあらゆるものとは逆の搦手へと死物狂いで没頭することだ。」

 このフーゴ・バルの手記を、私はカール・ユングの『赤の書』の中で知った。精神科医で心理学者のユングでさえ、第一次世界大戦の頃には精神的に不安定になって、あれこれと書き記さずにはいられず、その40代のユングの記録が『赤の書』なのだ。そんなユングの70代になってからの思索に「ユングの文明論」という副題が添えられた著書『現在と未来』があり、人類が全体主義に陥る原因分析として大いに参照すべきものだと思う(エーリッヒ・フロム『自由からの逃走』もよく挙げられる)。ユングの成長から、人は考え続けることが大事だと思う。

 第二次世界大戦の終戦直後、70歳のユングは戦中の狂気に対して次のように声を上げた。

「人間がいったい何をしでかすか、われわれ自身何をやりかねないか、人々は戦慄をもって思い知らされた。・・・(中略)・・・これは銘記しておくべきことだが、かかる退廃を招くにはしかるべき条件がなければならない。まずなによりも、都市に集中し、工業化され、一面的な発達を強いられて、その大地からこそぎにされた大衆というものの大量発生がある。これら大衆は健全なさまざまの本能を失い、自己保存の本能すらなくしてしまった。すなわち国家にかけられる期待が大きくなればなるほど、個人の自己保存の本能は失われていくのである。悪い兆候と言うほかない。・・・(中略)・・・それは国民が羊のように群れをなして、ただもう羊飼いが緑の牧場に連れていってくれるのを待つようになる道でしかない。やがて羊飼いの杖は鉄の鞭となり、羊飼いは狼となるであろう。」(『現在と未来』p.53)

 30代のシモーヌ・ヴェイユが戦中、「をもつこと、それはおそらく人間の魂のもっとも重要な欲求であると同時に、もっとも無視されている欲求である」(をもつこと』)と気づいて「づき」に向けて思索したように、ユング も都市大衆の「こぎの病」について考えていたわけだ。

 しかし戦後、中東油田、北海油田、原子力やらのおかげで、再び経済は成長し、物質的な豊さが増進し、享楽的雰囲気に包まれて、「こぎの病」が起こっていることは糊塗され続けたように思われる。冒頭に触れた美大生の作風変化は予兆なのだ。


2021年3月12日金曜日

『根をもつこと』

 シュペングラーが農民を「植物的存在」と言ったことについて、抜き出しておく。

「原始の人間は流浪する動物であり・・・(中略)・・・場所に拘束されず、故郷もなく、鋭敏で臆病な感覚を持った、絶えず敵である自然から何物かを取ろうとしているのである。深い変化は農業とともに初めて生じた。というのは、これは猟師にも牧人にも全然縁のない人為的なものだからである。耕したり、鋤いたりする者は自然から強奪しようとするのではなく、自然を変えようとするものである。植えるということは何物かをとることではなく、何物かを生み出すことである。しかしこれとともに人間自身植物になる。すなわち農民になるのである。人はその耕すところの地面にをおろす。人間の魂は土地のなかに一つの魂を発見する。・・・(中略)・・・これは文化の前提である。」(『西洋の没落』第二巻 p.74)

「原始時代から自分の土魂の上に住み、あるいはこれを所有して自分の血でそこに固着している農民の魂のなかにはいって沈思してみるがいい。かれは祖先の子孫として、また後世の子孫の先祖としてをおろしている。かれの家、かれの所有、これはここでは短い数年間における肉体と財産との一時的な組み合わせではなく、永久の土地と永久の血との永続的な、内的結合を意味する。これによって初めて神秘的な意義でいう定住から、生殖、出生、死亡という循環の大きな紀元が、かの形而上学的な魔力、土地と結びついた住民の風俗と宗教とのなかにその象徴的な強点を見いだす形而上学的な魔力をうるにいたるのである。」(『西洋の没落』第二巻 p.86)

 やがて、都市が生まれ、都市が主導権を握る。

「巨大都市を伴った文明の生ずるにおよんで、この精神態のは軽蔑され、そうして人はこれから遊離するようになる。文明化した人間、すなわち知的遊牧民はまたもや全然小宇宙となり、全然故郷なく、猟師と牧者とが感覚的に自由であったと同じに知的に自由になる。」(『西洋の没落』第二巻 p.75)

「今日この文化の終末に際しては、のない知性はあらゆる土地的な、また思想的な可能性の間に浮動している。しかしこの両者(註:文化と文明)の間に存する時期は、人間が一片の土のために死ぬ時期である。」(『西洋の没落』第二巻 p.75)

 そして、文明の終末とは、植物が枯れるような事態である。

「純粋の農民を、深い、説明することのできない不安で襲うこと、すなわち家族と名前の滅亡という考えはその意義を失った。見えうべき世界のなかに親族の血を永続させることは、もはやこの血の義務と感ぜられなくなり、最後の人間だという偶然はもはや宿命と感ぜられない。」(『西洋の没落』第二巻 p.86)

 私もまた農村を離れて、生活するようになっている。


 第二次世界大戦中、フランスからイギリスに逃れていたシモーヌ・ヴェイユは『根をもつこと』を著した。

をもつこと、それはおそらく人間の魂のもっとも重要な欲求であると同時に、もっとも無視されている欲求である。また、もっとも定義のむずかしい欲求のひとつでもある。人間は過去のある種の富や未来へのある種の予感を生き生きといだいて存続する集団に、自然なかたちで参与することで、をもつ。自然なかたちでの参与とは、場所、出生、職業、人間関係を介しておのずと実現される参与を意味する。人間は複数のをもつことを欲する。自分が自然なかたちでかかわる複数の環境を介して、道徳的・知的・霊的な生の全体性なるものをうけとりたいと欲するのである」(『根をもつこと』上p.64)

「軍事的征服がおこなわれるたびにこぎが生じる。・・・(中略)・・・服従を強いられる民族にとって、こぎは死にいたる病となる。・・・(中略)・・・たとえ軍事的征服が為されなくとも、金銭にもとづく権力や経済的支配は、その土地柄になじまない影響をおよぼし、ついにはこぎの病をひきおこす。・・・金銭はいっさいの動機を金儲けの欲望にすりかえ、それが侵食するいたるところでもろもろのを破壊する」(『根をもつこと』上p.65)

 どこで道を誤ったか。

「15世紀になって第一のルネサンス が現れる。それはローマ以前の文明と12世紀精神の復活をかすかながら予感させた。真正のギリシア、ピュタゴラス、プラトンは宗教的な崇敬の対象とされ、その崇敬は完璧なる調和のうちにキリスト教信仰とむすばれていた。だがこの精神姿勢はきわめて短期で消えた。

 まもなく第二のルネサンスが現れるが、めざす方向は逆だった。われわれが近代文明と呼ぶものを生み出したのはこのルネサンスである。

 われわれはこの文明をきわめて誇りにしてはいるが、これが病んでいることを知らないではない。病気の診断内容については万人の同意が得られよう。近代文明が病んでいるのは、肉体労働とその従事者に与えるべき地位を精確にみきわめられないからだ。多くの知性がこの問題について手探りで議論を重ねることに疲れはてている。どうやって着手すべきか、なにを導き手とすべきかわからない。よって努力が実らない。」(『根をもつこと』下p.176)

 日本が明治維新以降、西洋文明に飲み込まれていることは言うまでもない。



2021年3月11日木曜日

『西洋の没落』

 オズヴァルト・シュペングラー『西洋の没落』 は1918年に出版され、当時、数十版を重ねるほどによく売れたそうだ。出版から100年が経ち、しかも大部なので、それを読んだ人は今ではほとんどいないかもしれない。

「これは、文化形態学という試みとしてなされたものであり、あらゆる文化の形態を比較し、文化というものが一つの生物体であって、人間、動物、植物、あるいは星辰にいたるまで、生まれ、生長し、壮年となり、ついで老いて死ぬという思想を展開したものである。・・・(中略)・・・西洋文明の没落は一つの運命である。文化は発展して文明となり、土、故郷はなくなって、メガロポリスが発達する。誰も彼も文明人となるのである。それから大戦争が起こる。人類を絶滅させる武器が発明され、貨幣が思想を支配するというのである。」(訳者の序)

 さて、私は三十世帯に満たない農村集落に生まれた。山を背にして田んぼに囲まれた集落の西端には古墳があり、先祖は1500年くらい前にはそこに住み着いていたのではないかと思われる。農業を基盤とした百姓として先祖は脈脈とそこに暮らしていたわけだ。シュペングラーは農民を「植物的存在」と言う。土地に根を張って命を繋ぐ植物のようだからだ。だが、20世期後半、父の代で給与所得が農業所得を上回る兼業農家になっていた。私の代にもなると、いよいよ農村を離れて大学の教壇に立って生計を立てて暮らすようになった。1000年以上、先祖はその土地の産物によって暮らせていたわけだが、貨幣経済が席巻して、私の代ではもはやそこでの生活が難しくなったわけだ。(辺鄙な農村には未婚中高年男性が少なくないが、家もDNAも途絶えることを意味する。)このような出自なので、シュペングラーの思想・歴史観に首肯するところは少なくない。

 シュペングラーは、農村という定住生活を起点として都市が生まれて、成長し続ける都市と取り残されるいなか都市に分かれながら主導的な世界都市が出来上がり、文明は没落に至る、という1000年くらいの出来事として一連の歴史プロセスを考える。

「農民階級はかつて市場を生み、農村都市を生み出し、そうしてそれらを自己の最良の血で養った。今や巨大都市はあくことなく、いつでも新しい人間の流れを要求し、これをむさぼりくい、農村を吸いつくし、とうとう自らほとんど住民のない荒野のまんなかで疲れはて、そうして死ぬのである。」(『西洋の没落』第二巻 p.85)

 今思えば、私は都市の営みに吸いつかれて、農村を離れることになったわけだ。

文化の初期時代が農村から都市の出生を意味し、その後期時代が都市といなかとの争闘を意味するとすれば、文明とは都市の勝利であって、文明はこれによって土から解放されるとともに、自ら没落していくのである。」(『西洋の没落』第二巻 p.89)

 都市が勝利するのは、カネが物を言うようになるからであるが、それに伴って、思考の大転換が起こる。すなわち、「財をもってする思考に代わって貨幣をもってする思考が現れる」(第二巻 p.395)のである。

 「初期の人間が財を比較し、そうして理性だけで比較するのでないのに反し、後期の人間は商品の価値を計算し、しかも固定した質のない尺度で計算する。今や貨幣は牛で評価されないで、牛が貨幣で評価される。」(第二巻 p.396)

 今どき農村出身の大学教師である私は、現代人がやたらとカネを欲しがることを理解するまでに時間を要したが、岩波文庫がそれを助けてくれた。日本より早く近代化したヨーロッパ人の言葉を拾っておこう。

「民主的な時代に生きる人々は多くの情熱を有するが、その大半は富への愛着に帰し、あるいはそれに発するものである。心が小さくなったからではなく、金銭の重要性がこの時代ほど大きいときはないからである。同胞市民がみな独立で互いに無関心なとき、金を払わぬことには誰の協力も得られない。このことが富の用途を限りなく増やし、その価値を無限に高める。かつて古いものに結びついていた威信は消え去り、生まれも身分も職業も人々を全く、あるいはほとんど区別しない。人と人との間にはっきり目に見える違いを生み、少数のものを仲間から際立たせるのは金の他にほとんどない。」(トクヴィル『アメリカのデモクラシー』第二巻(下)岩波文庫 p.117)

「貨幣によって私のためにあるようになるもの、私が代金を支払うもの、すなわち貨幣が買うことのできるもの、それは貨幣の所有者たる私である。貨幣の力が大きければ、それだけ私の力も大きい。貨幣の所属性は私の-----貨幣所有者の-----所属性であり、本質諸力である。したがって、私がそうでありまたそうなしうるところのものは、けっして私の個性によって規定されているのではない。私はみにくい男である。しかし私は自分のためにもっとも美しい女性を買うことができる。だから私はみにくくない。と言うのは、みにくさの作用、人をぞっとさせるようなその力は、貨幣によって無効にされているからである。私は-----私の個人的特性にしたがえば-----びっこである。しかし貨幣は私に二十四本の足(註:「早い話がわたしが馬六頭の代を払ったとすれば、その馬六頭の力はわたしの力なのではなありますまいか」ゲーテ『ファウスト』第一部 1822-1827 )を与えてくれる。だから私はびっこではないのだ。私は邪悪な、不正直な、不誠実な、才智のない人間である。しかし貨幣は尊敬される。だからその所有者も尊敬される。貨幣は最高の善である。だからその所有者も最善である。そのうえ、貨幣は私に不正直なことをする苦労を免じてくれる。したがって私は正直者だと想像される。私は才智がない。だが貨幣はすべての事物の現実的な才智である。どうして貨幣の所有者が才智のないはずがあるだろうか。それだけでなく、私は才智に富んだ人を買うことができる。才智に富んだ人たちを支配する力をもつ者は、才智のある者よりもさらに才智に富んでいるはずではないか! この私は、人間的心情が渇望する一切のことを、貨幣を通じてなしうるのだから、私は一切の人間的能力を所持しているのではないか! こうして私の貨幣は、私の一切の無能力をその反対のものに変ずるのではないか。・・・(中略)・・・貨幣は、個人にたいしても、そしてそれ自身本質であると主張する社会的等々の紐帯に対しても、こうした転倒をさせる力として現れるのである。それは誠実を不誠実に、愛を憎に、憎を愛に、徳を悪徳に、悪徳を徳に、奴隷を主人に、主人を奴隷に、愚鈍を理知に、理知を愚鈍に変ずる。」(マルクス『経済学・哲学草稿』第三草稿「貨幣」)

 このようなわけで、シュペングラーも次のように記している。

「文明とは、伝統と人格とがその直接の効用を失い、そうしてすべての理念が実現されるためには、まず第一に考えを改めて貨幣に変えられなければならない文化段階をいうのである。最初には人は強力であったから財を有していた。今や貨幣を有しているから、強力なのである。貨幣こそ知能を王座にのぼらせるものである。デモクラシーとは、貨幣と政治権力との同等化の完成されたものである。」(第二巻 p.398)

 ちなみに、世論なるものも金権によるメディア支配に負うていることをシュペングラーは指摘している。

「新聞はいかなる「真理」もこれを世間に伝えないことによって、死刑に処することができる。おそるべき黙殺という検閲である。・・・(中略)・・・政党領袖の独裁は新聞雑誌の独裁を足場にしている。読者群と全国民とは金によって、敵意ある忠順から切り離され、自己の思想訓育の下におかれようとしている。この訓育ににおいてかれらはその知らなければならないことだけを経験し、そうしてそれ以上の意志がかれらの世界像を形成する。」(第二巻 p.383)

 また、カネが物言う世では、身分政治は政党政治に屈してしまう。高邁な理想ではなくカネの力で政党を抑えることが求められるようになるわけだ。だから、偉大な政治家はなかなか出てこなくなる。

「大都市とともに非階級、すなわち市民階級が指導権をにぎるやいなや・・・(中略)・・・血と伝統とに逆らって知性と貨幣との力がたちあがる。有機的なものにかわって組織されたものが登場し、身分にかわって政党が登場する。・・・承認されるものは身分理想ではなく、職業的利益にすぎない。・・・(中略)・・・政党とは純然たる都市的現象である。」(第二巻 p.371)

 ともあれ、シュペングラーは、共和制ローマの時代、スキピオ家が指導的勢力ではなくなって貨幣経済が席巻するようになった時代について、次のように記している。

「指導的な血にかわって貨幣が現れた。貨幣は三世代たたないうちに農民階級を絶滅させたのである。」(第二巻 p.342)

 貨幣経済が席巻することで離農が進むことは、マルクスも予言していた。 

「ヨーロッパの強制で開かれた日本の外国貿易が、現物地代の貨幣地代への転化という結果をもたらすとすれば、それは、その模範的な農業の破滅となる。その狭い経済的存立条件は解消されるであろう」(マルクス『資本論(一)』岩波文庫 p.243)

 このような歴史的局面に生まれて私は、農村を離れ、大学教師を生業にするようになっているのだと思う。



2021年3月8日月曜日

『地域衰退』

 宮崎雅人(b.1976年)『地域衰退』(岩波新書)を読んだ。

 日本の地方は、人口減少と高齢化を伴いながら衰微し続けている。そんな地域衰退の要因が産業の衰退にあり、そのことをデータを示しつつ明快に論じた良書である。学術的な内容の新書ではあるが、寂れるばかりのふるさとに対する郷愁と哀愁が滲み出ており、そんな田舎を持ちながら未来を憂慮する者の共感を誘う。都市型の生活に過剰適応している者にはちょっとわからない感覚かもしれないが。

 宮崎氏は、彼が育った長野県須坂市の衰退のトリガーとなった出来事として富士通の須坂工場のリストラを挙げて考察する。さらに、山村と旧産炭地の衰退、すなわち農林業と鉱業の衰退が地域の衰退をもたらした例を挙げる。基盤産業の隆盛と凋落が地域の盛衰と同期していたという指摘である。

 要するに、「経済が発展するにつれて、産業構造が第一次産業から、第二次・第三次産業に移っていくという、有名なペティ・クラークの法則があるが、戦後の産業構造もこの法則にしたがうように変化した。」(同書 p.73)その際、地域内で産業構造の転換がうまく進まない場合、人口流出を免れず、地域衰退が不可避になるわけだ。

 かくして、地域衰退の理由は簡明に指摘される。

「地域外へ生産物を移出し、地域外から所得を得る基盤産業が衰退した地域は、衰退することが避けられないのである。こうした地域から多くの人々が、1970年代頃までは、製造業で、その後は第三次産業で働くために出て行った。人口が減少すれば、かつては地域で成り立っていた、小売業や個人向けサービス業も衰退し、地域衰退に拍車をかけることになる。このような過程の中で、高齢化も一層高まっていく。」(同書 p.89)

 いつの時代も人々は、社会変化に翻弄されながら自身の生活が成り立つように、社会環境に適応すべく生きることを余儀なくされる。結果として、地方衰退が顕現する時代に至ったわけだ。

 そんな状況に何か引っ掛かる思いがあったからこそ、著者は地方衰退の要因を分析したのだろう。そして著者は、衰退を食い止めるために、生きるために必要な社会サービスを確保した上で、「地域に産業を興す」こと、国による政策誘導をやめて分権・分散型国家を目指すことを呼び掛ける。

 私は、地域衰退についての筆者の分析を支持するし、寂れるばかりの地元に心を痛める人には『地域衰退』を読むことをお勧めする。しかし、衰退を食い止めるための提言にはあまり期待していない。地域衰退を実感しつつも、むしろ歴史に対する不可抗力を思わずにはいられないからだ。

 オスヴァルト・シュペングラーの『西洋の没落』(1918年)には、田舎同士の交易から市場が生まれ、やがて都市が成長するのに対して、田舎は田舎として取り残されていく歴史パターンが記されている都市にしても、大都市さらには世界都市にまで発展する都市もあれば、落伍して地方と化する都市もある。それは1000年ほどのタイムスケールの出来事であり、ついには主導的な立場の世界都市と従属的で冴えない地方いなか都市に分かれて、文明は終末を向かえるというパターンである。

「都市は原始的市場から文化都市に、最後に世界都市に成長していき、その創造者と血と魂とをこの大規模な発展に供し、そうしてこれでついに自己自身さえも絶滅させる。文化の初期時代が農村から都市の出生を意味し、その後期時代が都市といなかとの争闘を意味するとすれば、文明とは都市の勝利であって、文明はこれによって土から解放されるとともに、自ら没落していくのである。」(『西洋の没落』第二巻 p.89)

 そんな歴史パターンの中にあって、日本中の多くの人々が地域衰退を味わっているように思う。しかも終末の局面で。

 では、なぜに都市が勝利してきたかと言えば、カネが物を言うからである。宮崎氏も挙げた「ペティ・クラークの法則」が作用しているからである。この法則の名付け親は世界銀行でアドバイザーをしていたグラハム・パイアットであり、1984年のことだリンク先の資料のp.79パイアットは、コリン・クラークの著書 The Conditions of Economic Progress に記された一般傾向に注目した。すなわち、経済が発展すると共に農業部門の従事者が減り、工業部門さらにはサービス部門へと就業者割合のウェートがシフトするという一般傾向である。クラークはと言えば、1941年の初版で、ウィリアム・ペティ卿が1691年に書き記していたことに注目して、それを「ペティの法則」と呼ぶに相応しいと考えた。大昔にウィリアム・ペティ卿は、産業部門ごとの稼ぎの違いに注目して、次のように記していたのだ。

"There is much more to be gained by Manufacture than Husbandry; and by Merchandise than Manufacture. . . . Now here we may take notice that as Trades and Curious Arts increase; so the Trade of Husbandry will decrease, or else the wages of Husbandmen must rise and consequently the Rent of Lands must fall."(Colin Clark, The Conditions of Economic Progress, 1st ed., p.176 からの引用)

 したがって、ペティ・クラークの法則とは、稼ぎの違いが産業別就業者構造を変えるということなのだ。その経済法則に従って、都市が形作られてきたわけだが、シュペングラーは、都市が勝利してもやがて文明は「自ら没落していく」と指摘する。そして今や、現代文明を駆動してきた資源・エネルギーが減耗し始め、フランスでは崩壊学という学問が始まっているような時代に突入している。貨幣の力に押されて、都市は主導権を競い、落伍した地域は衰退を甘受しているわけだが、シュペングラーは、人が主体ではない「貨幣の独裁」にまで至り、「カエサル主義」が現れるだろうと予言している。

2021年3月6日土曜日

序段

  つれづれなるままに、日くらし、Macにむかひて、心に移りゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。