2021年3月8日月曜日

『地域衰退』

 宮崎雅人(b.1976年)『地域衰退』(岩波新書)を読んだ。

 日本の地方は、人口減少と高齢化を伴いながら衰微し続けている。そんな地域衰退の要因が産業の衰退にあり、そのことをデータを示しつつ明快に論じた良書である。学術的な内容の新書ではあるが、寂れるばかりのふるさとに対する郷愁と哀愁が滲み出ており、そんな田舎を持ちながら未来を憂慮する者の共感を誘う。都市型の生活に過剰適応している者にはちょっとわからない感覚かもしれないが。

 宮崎氏は、彼が育った長野県須坂市の衰退のトリガーとなった出来事として富士通の須坂工場のリストラを挙げて考察する。さらに、山村と旧産炭地の衰退、すなわち農林業と鉱業の衰退が地域の衰退をもたらした例を挙げる。基盤産業の隆盛と凋落が地域の盛衰と同期していたという指摘である。

 要するに、「経済が発展するにつれて、産業構造が第一次産業から、第二次・第三次産業に移っていくという、有名なペティ・クラークの法則があるが、戦後の産業構造もこの法則にしたがうように変化した。」(同書 p.73)その際、地域内で産業構造の転換がうまく進まない場合、人口流出を免れず、地域衰退が不可避になるわけだ。

 かくして、地域衰退の理由は簡明に指摘される。

「地域外へ生産物を移出し、地域外から所得を得る基盤産業が衰退した地域は、衰退することが避けられないのである。こうした地域から多くの人々が、1970年代頃までは、製造業で、その後は第三次産業で働くために出て行った。人口が減少すれば、かつては地域で成り立っていた、小売業や個人向けサービス業も衰退し、地域衰退に拍車をかけることになる。このような過程の中で、高齢化も一層高まっていく。」(同書 p.89)

 いつの時代も人々は、社会変化に翻弄されながら自身の生活が成り立つように、社会環境に適応すべく生きることを余儀なくされる。結果として、地方衰退が顕現する時代に至ったわけだ。

 そんな状況に何か引っ掛かる思いがあったからこそ、著者は地方衰退の要因を分析したのだろう。そして著者は、衰退を食い止めるために、生きるために必要な社会サービスを確保した上で、「地域に産業を興す」こと、国による政策誘導をやめて分権・分散型国家を目指すことを呼び掛ける。

 私は、地域衰退についての筆者の分析を支持するし、寂れるばかりの地元に心を痛める人には『地域衰退』を読むことをお勧めする。しかし、衰退を食い止めるための提言にはあまり期待していない。地域衰退を実感しつつも、むしろ歴史に対する不可抗力を思わずにはいられないからだ。

 オスヴァルト・シュペングラーの『西洋の没落』(1918年)には、田舎同士の交易から市場が生まれ、やがて都市が成長するのに対して、田舎は田舎として取り残されていく歴史パターンが記されている都市にしても、大都市さらには世界都市にまで発展する都市もあれば、落伍して地方と化する都市もある。それは1000年ほどのタイムスケールの出来事であり、ついには主導的な立場の世界都市と従属的で冴えない地方いなか都市に分かれて、文明は終末を向かえるというパターンである。

「都市は原始的市場から文化都市に、最後に世界都市に成長していき、その創造者と血と魂とをこの大規模な発展に供し、そうしてこれでついに自己自身さえも絶滅させる。文化の初期時代が農村から都市の出生を意味し、その後期時代が都市といなかとの争闘を意味するとすれば、文明とは都市の勝利であって、文明はこれによって土から解放されるとともに、自ら没落していくのである。」(『西洋の没落』第二巻 p.89)

 そんな歴史パターンの中にあって、日本中の多くの人々が地域衰退を味わっているように思う。しかも終末の局面で。

 では、なぜに都市が勝利してきたかと言えば、カネが物を言うからである。宮崎氏も挙げた「ペティ・クラークの法則」が作用しているからである。この法則の名付け親は世界銀行でアドバイザーをしていたグラハム・パイアットであり、1984年のことだリンク先の資料のp.79パイアットは、コリン・クラークの著書 The Conditions of Economic Progress に記された一般傾向に注目した。すなわち、経済が発展すると共に農業部門の従事者が減り、工業部門さらにはサービス部門へと就業者割合のウェートがシフトするという一般傾向である。クラークはと言えば、1941年の初版で、ウィリアム・ペティ卿が1691年に書き記していたことに注目して、それを「ペティの法則」と呼ぶに相応しいと考えた。大昔にウィリアム・ペティ卿は、産業部門ごとの稼ぎの違いに注目して、次のように記していたのだ。

"There is much more to be gained by Manufacture than Husbandry; and by Merchandise than Manufacture. . . . Now here we may take notice that as Trades and Curious Arts increase; so the Trade of Husbandry will decrease, or else the wages of Husbandmen must rise and consequently the Rent of Lands must fall."(Colin Clark, The Conditions of Economic Progress, 1st ed., p.176 からの引用)

 したがって、ペティ・クラークの法則とは、稼ぎの違いが産業別就業者構造を変えるということなのだ。その経済法則に従って、都市が形作られてきたわけだが、シュペングラーは、都市が勝利してもやがて文明は「自ら没落していく」と指摘する。そして今や、現代文明を駆動してきた資源・エネルギーが減耗し始め、フランスでは崩壊学という学問が始まっているような時代に突入している。貨幣の力に押されて、都市は主導権を競い、落伍した地域は衰退を甘受しているわけだが、シュペングラーは、人が主体ではない「貨幣の独裁」にまで至り、「カエサル主義」が現れるだろうと予言している。

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