2021年3月11日木曜日

『西洋の没落』

 オズヴァルト・シュペングラー『西洋の没落』 は1918年に出版され、当時、数十版を重ねるほどによく売れたそうだ。出版から100年が経ち、しかも大部なので、それを読んだ人は今ではほとんどいないかもしれない。

「これは、文化形態学という試みとしてなされたものであり、あらゆる文化の形態を比較し、文化というものが一つの生物体であって、人間、動物、植物、あるいは星辰にいたるまで、生まれ、生長し、壮年となり、ついで老いて死ぬという思想を展開したものである。・・・(中略)・・・西洋文明の没落は一つの運命である。文化は発展して文明となり、土、故郷はなくなって、メガロポリスが発達する。誰も彼も文明人となるのである。それから大戦争が起こる。人類を絶滅させる武器が発明され、貨幣が思想を支配するというのである。」(訳者の序)

 さて、私は三十世帯に満たない農村集落に生まれた。山を背にして田んぼに囲まれた集落の西端には古墳があり、先祖は1500年くらい前にはそこに住み着いていたのではないかと思われる。農業を基盤とした百姓として先祖は脈脈とそこに暮らしていたわけだ。シュペングラーは農民を「植物的存在」と言う。土地に根を張って命を繋ぐ植物のようだからだ。だが、20世期後半、父の代で給与所得が農業所得を上回る兼業農家になっていた。私の代にもなると、いよいよ農村を離れて大学の教壇に立って生計を立てて暮らすようになった。1000年以上、先祖はその土地の産物によって暮らせていたわけだが、貨幣経済が席巻して、私の代ではもはやそこでの生活が難しくなったわけだ。(辺鄙な農村には未婚中高年男性が少なくないが、家もDNAも途絶えることを意味する。)このような出自なので、シュペングラーの思想・歴史観に首肯するところは少なくない。

 シュペングラーは、農村という定住生活を起点として都市が生まれて、成長し続ける都市と取り残されるいなか都市に分かれながら主導的な世界都市が出来上がり、文明は没落に至る、という1000年くらいの出来事として一連の歴史プロセスを考える。

「農民階級はかつて市場を生み、農村都市を生み出し、そうしてそれらを自己の最良の血で養った。今や巨大都市はあくことなく、いつでも新しい人間の流れを要求し、これをむさぼりくい、農村を吸いつくし、とうとう自らほとんど住民のない荒野のまんなかで疲れはて、そうして死ぬのである。」(『西洋の没落』第二巻 p.85)

 今思えば、私は都市の営みに吸いつかれて、農村を離れることになったわけだ。

文化の初期時代が農村から都市の出生を意味し、その後期時代が都市といなかとの争闘を意味するとすれば、文明とは都市の勝利であって、文明はこれによって土から解放されるとともに、自ら没落していくのである。」(『西洋の没落』第二巻 p.89)

 都市が勝利するのは、カネが物を言うようになるからであるが、それに伴って、思考の大転換が起こる。すなわち、「財をもってする思考に代わって貨幣をもってする思考が現れる」(第二巻 p.395)のである。

 「初期の人間が財を比較し、そうして理性だけで比較するのでないのに反し、後期の人間は商品の価値を計算し、しかも固定した質のない尺度で計算する。今や貨幣は牛で評価されないで、牛が貨幣で評価される。」(第二巻 p.396)

 今どき農村出身の大学教師である私は、現代人がやたらとカネを欲しがることを理解するまでに時間を要したが、岩波文庫がそれを助けてくれた。日本より早く近代化したヨーロッパ人の言葉を拾っておこう。

「民主的な時代に生きる人々は多くの情熱を有するが、その大半は富への愛着に帰し、あるいはそれに発するものである。心が小さくなったからではなく、金銭の重要性がこの時代ほど大きいときはないからである。同胞市民がみな独立で互いに無関心なとき、金を払わぬことには誰の協力も得られない。このことが富の用途を限りなく増やし、その価値を無限に高める。かつて古いものに結びついていた威信は消え去り、生まれも身分も職業も人々を全く、あるいはほとんど区別しない。人と人との間にはっきり目に見える違いを生み、少数のものを仲間から際立たせるのは金の他にほとんどない。」(トクヴィル『アメリカのデモクラシー』第二巻(下)岩波文庫 p.117)

「貨幣によって私のためにあるようになるもの、私が代金を支払うもの、すなわち貨幣が買うことのできるもの、それは貨幣の所有者たる私である。貨幣の力が大きければ、それだけ私の力も大きい。貨幣の所属性は私の-----貨幣所有者の-----所属性であり、本質諸力である。したがって、私がそうでありまたそうなしうるところのものは、けっして私の個性によって規定されているのではない。私はみにくい男である。しかし私は自分のためにもっとも美しい女性を買うことができる。だから私はみにくくない。と言うのは、みにくさの作用、人をぞっとさせるようなその力は、貨幣によって無効にされているからである。私は-----私の個人的特性にしたがえば-----びっこである。しかし貨幣は私に二十四本の足(註:「早い話がわたしが馬六頭の代を払ったとすれば、その馬六頭の力はわたしの力なのではなありますまいか」ゲーテ『ファウスト』第一部 1822-1827 )を与えてくれる。だから私はびっこではないのだ。私は邪悪な、不正直な、不誠実な、才智のない人間である。しかし貨幣は尊敬される。だからその所有者も尊敬される。貨幣は最高の善である。だからその所有者も最善である。そのうえ、貨幣は私に不正直なことをする苦労を免じてくれる。したがって私は正直者だと想像される。私は才智がない。だが貨幣はすべての事物の現実的な才智である。どうして貨幣の所有者が才智のないはずがあるだろうか。それだけでなく、私は才智に富んだ人を買うことができる。才智に富んだ人たちを支配する力をもつ者は、才智のある者よりもさらに才智に富んでいるはずではないか! この私は、人間的心情が渇望する一切のことを、貨幣を通じてなしうるのだから、私は一切の人間的能力を所持しているのではないか! こうして私の貨幣は、私の一切の無能力をその反対のものに変ずるのではないか。・・・(中略)・・・貨幣は、個人にたいしても、そしてそれ自身本質であると主張する社会的等々の紐帯に対しても、こうした転倒をさせる力として現れるのである。それは誠実を不誠実に、愛を憎に、憎を愛に、徳を悪徳に、悪徳を徳に、奴隷を主人に、主人を奴隷に、愚鈍を理知に、理知を愚鈍に変ずる。」(マルクス『経済学・哲学草稿』第三草稿「貨幣」)

 このようなわけで、シュペングラーも次のように記している。

「文明とは、伝統と人格とがその直接の効用を失い、そうしてすべての理念が実現されるためには、まず第一に考えを改めて貨幣に変えられなければならない文化段階をいうのである。最初には人は強力であったから財を有していた。今や貨幣を有しているから、強力なのである。貨幣こそ知能を王座にのぼらせるものである。デモクラシーとは、貨幣と政治権力との同等化の完成されたものである。」(第二巻 p.398)

 ちなみに、世論なるものも金権によるメディア支配に負うていることをシュペングラーは指摘している。

「新聞はいかなる「真理」もこれを世間に伝えないことによって、死刑に処することができる。おそるべき黙殺という検閲である。・・・(中略)・・・政党領袖の独裁は新聞雑誌の独裁を足場にしている。読者群と全国民とは金によって、敵意ある忠順から切り離され、自己の思想訓育の下におかれようとしている。この訓育ににおいてかれらはその知らなければならないことだけを経験し、そうしてそれ以上の意志がかれらの世界像を形成する。」(第二巻 p.383)

 また、カネが物言う世では、身分政治は政党政治に屈してしまう。高邁な理想ではなくカネの力で政党を抑えることが求められるようになるわけだ。だから、偉大な政治家はなかなか出てこなくなる。

「大都市とともに非階級、すなわち市民階級が指導権をにぎるやいなや・・・(中略)・・・血と伝統とに逆らって知性と貨幣との力がたちあがる。有機的なものにかわって組織されたものが登場し、身分にかわって政党が登場する。・・・承認されるものは身分理想ではなく、職業的利益にすぎない。・・・(中略)・・・政党とは純然たる都市的現象である。」(第二巻 p.371)

 ともあれ、シュペングラーは、共和制ローマの時代、スキピオ家が指導的勢力ではなくなって貨幣経済が席巻するようになった時代について、次のように記している。

「指導的な血にかわって貨幣が現れた。貨幣は三世代たたないうちに農民階級を絶滅させたのである。」(第二巻 p.342)

 貨幣経済が席巻することで離農が進むことは、マルクスも予言していた。 

「ヨーロッパの強制で開かれた日本の外国貿易が、現物地代の貨幣地代への転化という結果をもたらすとすれば、それは、その模範的な農業の破滅となる。その狭い経済的存立条件は解消されるであろう」(マルクス『資本論(一)』岩波文庫 p.243)

 このような歴史的局面に生まれて私は、農村を離れ、大学教師を生業にするようになっているのだと思う。



0 件のコメント:

コメントを投稿