2021年3月16日火曜日

『解放された世界』

 フーゴ・バルが社会経済の行き詰まりに悶悶としていた1913年、「SFの父」とも称されるH.G.ウェルズは『解放された世界』と題する未来小説を書いていた。

 この小説は、原子力エネルギーの可能性を明らかにしたノーベル賞科学者フレデリック・ソディの研究にヒントを得たもので、「フレデリック・ソディの『ラジウムの解釈』に、この物語を献呈して感謝のしるしとする」との献詞が添えられている。この未来小説の中でウェルズは、原子爆弾を予言し、科学の進歩を讃えつつも未来社会を憂慮し、後先考えずに発展し続ける科学が顧みようとしない興味深い問題を指摘していた。

「豊かさの到来とともに、測りしれない豊かさが満ち溢れた状況において、そして人間の必要を満たすのに欠かすことのできないすべてのものと、また人間の心の中にあった意志と目的を実現するのに必要なすべてがすでに手中にあったとき、人はなお苦難、飢餓、激怒、混乱、衝突、そしてわけの分からない苦しみについて語らなければならなかったのである。この莫大な新しい富(補注:原子力エネルギーの恩恵)-----それはついに人間の手の届くところまでやって来たのであるが-----それを分配するいかなる計画もなかった。このような分配が可能だというはっきりした構想は何もなかった。」(『解放された世界』p.82) 

 ウェルズは、『解放された世界』の中に「フレデリック・バーネットの『放浪時代』」という小説を登場させて、未来に起こり得ることを予想した。小説の中に小説を登場させるにあたり、「それは確かに人びとに一世紀半ほど昔のゲーテの『ウィルヘルム・マイスター』をそれとなく思い出させるタイトルである」(p.90)と一文書き添えている。

 ゲーテの『ウィルヘルム・マイスター』には、「修行時代」と続編の「遍歴時代」があるが、マックス・ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』に登場するのは後者である。

「専門の仕事への専念と、それに伴うファウスト的な人間の全面性からの断念は、現今の世界ではすべて価値ある行為の前提でもあって、したがって「業績」と「断念」は今日ではどうしても切り離しえないものとなっている。・・・(中略)・・・こうした禁欲的基調を、ゲーテもまたその人生知の高みから『ウィルヘルム・マイスターの遍歴時代』と、ファウストの生涯の終幕によって、われわれに教えようとしたのだ。彼にとって、この認識は、ゆたかで美しい人間性の時代からの断念を伴う、そうした袂別を意味した。」(『プロ倫』p.364)

 マックス・ウェーバーは、資本主義が席巻するようになって、「百姓」としては食えなくなり、分業化された社会の中で細分化された職務・業務に従事して生きることを余儀なくされる時代の到来をゲーテが看取していたことを言いたかったわけだ。

 ウェルズが触れた『ウィルヘルム・マイスター』は、『ウィルヘルム・マイスターの修行時代』を指していると思われる。『ウィルヘルム・マイスターの修行時代』にも、原子力エネルギーに比肩するような人類の歩みを一変させた発明が記されているからだ。 

 それは、ゲーテ『ウィルヘルム・マイスターの修行時代』第一巻第十章の記述、主人公ウィルヘルムと友人で金儲けに長けたウェルナーの会話だ。(訳は岩波文庫版ではなく新潮世界文学版)

ウェルナー「ぼくは、ほかの人が馬鹿なのにつけこんでうまくやるくらいあたりまえのことはないと思うんだがね。」

ウィルヘルム「馬鹿な人間がいたら、その馬鹿を癒してやるほうが、趣味としては高尚じゃないのかい」

ウェルナー「ぼくがいろんな人間とつきあってきた経験では、そんなことはどうやらむだ骨折りらしいね。たった一人の人間が利口になり金持になるのだって、なかなか容易なことじゃない。しかも、それもたいていの場合、ほかの人たちを犠牲にしてのことなんだ。」

 この会話に続いて、現代人の歩みにとって決定的となったことをゲーテは指摘していた、なんと1796年の著作で。

ウェルナー「複式簿記ひとつ取ってみても、商人はそれでどれほど利益を受けているかわかりゃしない。こいつは人間精神が考えだしたもののなかで、いちばんすばらしいものの一つだ。ぼくにいわせれば、うまく切り盛りして行こうというのなら、誰でも、こいつを自分のところでも使う必要があるんだ。」

 この「(複式簿記が)人間精神が考えだしたもののなかで、いちばんすばらしいものの一つだ」という箇所は、シュペングラー『西洋の没落』でも注目されている。

「複式簿記がルカ・パチョーリ(1494年)によって発明されたことは決定的なものとなった。」(『西洋の没落』第二巻 p.402

 シュペングラーは、数奇なものだが、実在したウェルナーの複式簿記についての見解、すなわち「複式簿記は、ガリレオとニュートンとの体系と同じ精神から生まれた・・・(中略)・・・複式簿記はあらゆる現象をただ量としてのみ理解するという、論理的におこなわれた根本思想にもとづいている」(ibid.)という見立てを紹介している。(その箇所を含むゾンバルトの考えの英訳

 そして、数学教師でもあったシュペングラーは、数理として貨幣が席巻する文明の終末「貨幣の独裁」を予見した。

「銀行としたがって取引所とは1789年以来、尨大に成長していく産業の信用需要において、自己自身の権力にまで発展した。そうしてあらゆる文明における貨幣のように、唯一の権力たろうと欲する。生産戦争と略奪戦争との間の古くさい論争は、知能の沈黙している巨大戦争に高まっていく。」(『西洋の没落』第二巻 p.412)


 さて、ウェルズはと言えば、上述したように豊かさの分配上の問題を記していたが、原子力エネルギーが用いられる未来には、資本主義体制が粉砕され(p.276)、貴金属本位の貨幣制度は維持できなくなってエネルギー本位の貨幣制度になると考えていた(p.282)。

 フレデリック・ソディがヒントを与えた未来小説は、ソディに富の分配つまりは経済に関して科学者がいかに無思慮かを気づかせた。やがてソディは自ら金融のしくみについて思索し、貨幣論を提示し、文明の未来を憂慮した。それは、エネルギーがどんなに潤沢であったとしても、複式簿記にもとづく金融のしくみを放置しておけば、現代文明は崩壊する、というものだ。

 



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