2021年3月13日土曜日

『時代からの逃走』

 地方の美術大学のパンキョーの教員(註:一般教養担当教員)として勤続24年になる。四半世紀ほどで卒業制作が様変わりしていることを実感している。絵画専攻卒業だけど「絵画」に属するとは思えないものや彫刻専攻卒業なのに「彫刻」とは思えないものの提出が混じるようになってきたのだ。作品の良し悪しはさておき、枠に収まっているのが嫌だということはよく伝わってくる。

 このような変化は、『地域衰退』の実感の深化と同期している。歴史家のアーノルド・トインビーは、過去に起こった文明の比較研究を行い、「伝統的な芸術様式の放棄は、その様式と結びついている文明が、ずっと以前から衰退し、いまや解体の途上にあることを示す証拠である」(アーノルド・トインビー 『歴史の研究』p.□□)と指摘している。

 シュペングラーが『西洋の没落』を著述していた頃には、ダダイズムと呼ばれる芸術運動が起こった。ダダイストたちは「旧来のあらゆる社会秩序とブルジョワ的価値観を転覆させ、これに決定的な批判を加えることを提唱した。また、社会的・政治的価値から芸術的価値に至るまでの一切の価値観を信用せず、芸術の完全な非合理性を主張した。」(相賀徹夫『世界美術大事典3ダダイズムの例としては、マルセル・デュシャンの「泉」(1917)がよく挙げられ、印象派の絵のような芸術作品でないことはすぐにわかるだろう。

Marcel Duchamp, 1917, Fountain, photograph by Alfred Stieglitz
Marcel Duchamp, Public domain, via Wikimedia Commons

 そのダダイズムの中心人物フーゴ・バルの手記をまとめた『時代からの逃走 ダダ創立者の日記』には、当時の行き詰まりが次のように記されている。

「生活はすっかりあみの目に巻き込まれ、身動きできなくなっている。1913年〔第一次大戦の前の年〕の世界と社会はそんなふうに見えた。一種の経済的宿命論が支配していて、それが各個人に、抵抗しようがしまいが、一定の機能をおしつけ、ひいては個人の利害関係とその性格をも左右している。教会はとるに足りない「救済事業」、文学は安全弁としてしか通用しない。どのようにしてこんな状態になったにせよ、この状態が現にあり、誰もそれから逃れることができない。・・・(中略)・・・しかし明けても暮れてもいちばん気がかりな問題は、こうだ。この状態を止揚できるほどの、強力で、とりわけ生きた勢力が、どこかにあるだろうか。もしないとすれば、どのようにしてこの状態から抜け出せるのか。・・・(中略)・・・必要なのは、このメカニズムから脱け出そうとする人びとすべての連合であり、〝お役に立つこと″に抵抗する生き方であり、使われたり、利用されたりするあらゆるものとは逆の搦手へと死物狂いで没頭することだ。」

 このフーゴ・バルの手記を、私はカール・ユングの『赤の書』の中で知った。精神科医で心理学者のユングでさえ、第一次世界大戦の頃には精神的に不安定になって、あれこれと書き記さずにはいられず、その40代のユングの記録が『赤の書』なのだ。そんなユングの70代になってからの思索に「ユングの文明論」という副題が添えられた著書『現在と未来』があり、人類が全体主義に陥る原因分析として大いに参照すべきものだと思う(エーリッヒ・フロム『自由からの逃走』もよく挙げられる)。ユングの成長から、人は考え続けることが大事だと思う。

 第二次世界大戦の終戦直後、70歳のユングは戦中の狂気に対して次のように声を上げた。

「人間がいったい何をしでかすか、われわれ自身何をやりかねないか、人々は戦慄をもって思い知らされた。・・・(中略)・・・これは銘記しておくべきことだが、かかる退廃を招くにはしかるべき条件がなければならない。まずなによりも、都市に集中し、工業化され、一面的な発達を強いられて、その大地からこそぎにされた大衆というものの大量発生がある。これら大衆は健全なさまざまの本能を失い、自己保存の本能すらなくしてしまった。すなわち国家にかけられる期待が大きくなればなるほど、個人の自己保存の本能は失われていくのである。悪い兆候と言うほかない。・・・(中略)・・・それは国民が羊のように群れをなして、ただもう羊飼いが緑の牧場に連れていってくれるのを待つようになる道でしかない。やがて羊飼いの杖は鉄の鞭となり、羊飼いは狼となるであろう。」(『現在と未来』p.53)

 30代のシモーヌ・ヴェイユが戦中、「をもつこと、それはおそらく人間の魂のもっとも重要な欲求であると同時に、もっとも無視されている欲求である」(をもつこと』)と気づいて「づき」に向けて思索したように、ユング も都市大衆の「こぎの病」について考えていたわけだ。

 しかし戦後、中東油田、北海油田、原子力やらのおかげで、再び経済は成長し、物質的な豊さが増進し、享楽的雰囲気に包まれて、「こぎの病」が起こっていることは糊塗され続けたように思われる。冒頭に触れた美大生の作風変化は予兆なのだ。


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